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残された時間が僕らにはあるから大切にしなきゃと小さく笑った
なんだかここ最近、久々に帰る→恐る恐るスレを見る→萎える→メール確認→ニヤニヤの生活になってます。
ここ最近のスレには特に言う事はありません。愛が無い人が多いなぁ。とか。もちろん面白い人もいましたがw
ただ、半月は本当に良かったと、思いました。
半月のメインテーマはあとがきでも言ってた「終わりの見えない、だけど必ず終わりの来る日常」だと思います。その日常を希望を持って暮らすかネガティブに終わりに怯えるかは人さまざまですが。
終わりは誰にでもやってきます。里香が病気だから、ではなく僕らにも終わりは来ます。もしかしたら明日かもしれません。JR福知山線の事故、乗客は家族に「行ってきます」と言った言葉が最後になると誰が思っていたでしょうか?
自分は前職は生命保険会社の営業でした。本当に短い間でしたが。しかしその中で学んだ事がいくつかあります。その一つに、いつ来るか判らない終わり、それを意識するのではなく、大切な人への思い、それを意識させて保険を売る意識して我々は暮らすべきなのだと。
つまりまぁ何が言いたいかってぇと。里香の闘病生活は死ぬまで続きます。裕一よりは死に近い立場かもしれません。ただ、いつ死ぬか判らないのは誰だって同じです。逆説的に言うんなら他の人と何も変わらない、悲劇のヒロインでは無いという事です。
僕は自分の惚れた女が悲劇のヒロインではないことに安堵すると同時に、幸せであって欲しいと思います。当たり前の話ですが、死ななきゃ幸せになれるわけではありません。この先色々な人生の山場が待ちうけています。それらの高い壁を裕一と共に乗り越えて欲しいと思います。
高ければ高い壁の方が上った時気持ちいいもんな。まだ限界だなんて思っちゃいないさ。
ところで「学んだ」という単語が「孕んだ」に見えました。こんなことだから初対面の人間にまで数時間で「パンツ廃人はエロい人」と認識されるのかもしれません。
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